地政学リスクの高まりやサプライチェーン再編が加速する2020年代後半、海外駐在員の役割は大きく変容している。コロナ禍を契機にリモート駐在が定着し、企業のグローバル体制は従来型の「人を送る」モデルから「機能を最適配置する」モデルへと移行しつつある。本記事では、外部環境の変化を踏まえた海外駐在員の新たな役割、求められるスキル、そしてグローバル人材としてのキャリアパスについて解説していきたい。

地政学リスクとサプライチェーン再編がもたらす駐在員ニーズの変化

米中対立の長期化、ウクライナ情勢、中東の不安定化といった地政学リスクが、企業のグローバル戦略を根底から揺さぶっている。

かつてはコスト最適化を主軸に「一極集中型」で構築されていたサプライチェーンは、リスク分散の観点から「チャイナプラスワン」や「フレンドショアリング」と呼ばれる再編が急速に進んでいる。

ASEAN・インド・中東欧など新たな拠点候補地への進出が相次ぐなかで、現地の政治・経済リスクを肌感覚で把握し、本社に的確な情報を伝達できる駐在員の価値が改めて見直されている。

2021年にEY Japanが実施した調査では、経営者・管理職295人のうち約74%が「海外赴任者を維持または増加させる」と回答していた。

その後の数年間で、この傾向はより鮮明になっている。

経済安全保障の観点から、各国政府が自国内への製造拠点誘致を進めるなかで、日本企業もグローバル拠点の再配置を迫られている。

特に、半導体・EV・再生エネルギーといった戦略物資に関連する産業では、各国の産業政策と連動した現地法人の設立・拡張が加速しており、それに伴う駐在員需要は増加基調にある。

新興国を中心に、現地パートナーとの合弁や政府系機関との折衝が必要となる場面も増えており、駐在員にはビジネス交渉力に加えて政策リテラシーも問われるようになっている。

ただし、駐在員の役割は従来の「本社の延長線上で現地を管理する」ものから、「現地の自立化を推進しつつ本社との戦略的な橋渡しを担う」方向へと質的に変化している。

地政学リスクが複雑化するほど、単なるオペレーション管理ではなく、リスクインテリジェンスの担い手としての機能が求められるのである。

リモート駐在の普及と海外拠点の自立化——「現地にいるからこそ」の再定義

コロナ禍を契機に急速に広まったリモートワークは、海外駐在の在り方にも不可逆的な変化をもたらした。

日本に居住しながら海外拠点の業務に従事する「バーチャルアサインメント」は、一時的な緊急対応から恒常的な勤務形態へと進化している。

バーチャルアサインメントの最大のメリットは、駐在手当・住宅費・教育費といった海外赴任コストの大幅な削減である。

加えて、家庭の事情や健康上の理由で物理的な海外赴任が難しい優秀な人材も、グローバルなプロジェクトに参画できるようになった点は見逃せない。

社員の側にとっても、世帯ごとの移動を伴わずにグローバルなキャリアを積める選択肢が広がったことは、ワークライフバランスの観点で大きな前進である。

一方で、リモート管理の普及は「では、現地に人を置く意味は何か」という本質的な問いを企業に突きつけている。

筆者がグローバル人材マネジメントの現場で見てきた限り、リモートでは代替できない駐在員の機能は大きく3つある。

第一に、現地の商慣習・規制変更・政治動向など、定量データだけでは捉えきれない「空気感」のリアルタイムな把握である。

第二に、ローカル人材との信頼関係構築と、それに基づく権限委譲・人材育成である。

第三に、緊急時の即応対応と、現地ステークホルダーとの対面での交渉や意思決定である。

コロナ前に駐在員が担っていた業務の多くがリモートに移行した今、現地に残る駐在員には、これら3つの機能を高い水準で遂行することが期待されている。

実際に、多くの企業では海外拠点の「自立化」を戦略目標に掲げ、駐在員の役割をオペレーション管理からローカル人材の育成・権限委譲へとシフトさせている。

現地の優秀な人材を見極めて採用し、マネジメント層にまで育成できるスキルは、これからの駐在員にとって最も重要な能力といえるだろう。

さらに、時差を越えたオンラインコミュニケーションが業務の主軸となるなかで、「リモートマネジメント力」——すなわち物理的に離れたチームを統率し成果を出す力——も、駐在員・非駐在員を問わず必須のスキルとなっている。

海外駐在経験者のキャリアパス——転職市場での評価と今後の展望

外部環境の変化に伴い、海外駐在経験者に対する転職市場での評価も変わりつつある。

従来、海外駐在経験は「語学力」や「異文化適応力」の証明として評価される傾向が強かった。

しかし現在では、それに加えて「不確実性の高い環境下での意思決定力」「多国籍チームのマネジメント経験」「地政学リスクを踏まえた事業戦略の立案・実行力」といった、より高次のスキルが評価対象となっている。

特に、サプライチェーン再編やESG対応が経営アジェンダの上位に位置づけられるなかで、現地の規制動向やステークホルダーとの関係構築を担った経験は、経営企画・事業開発・コンサルティングといった職種で高く評価される。

一方で、駐在経験をキャリア資産として最大化するためには、「何年いたか」ではなく「何を成し遂げたか」を言語化する力が不可欠である。

現地法人の売上成長率、ローカル人材の登用実績、新規市場の開拓成果など、定量的なインパクトを伴う実績が転職市場では重視される。

グローバル人材の採用を強化する企業が増えるなかで、海外駐在経験者は即戦力として注目されやすいが、自身の経験を構造的に棚卸しできているかどうかで評価は大きく分かれる。

また、帰任後のキャリアパスについても戦略的に考えることが重要である。

海外駐在は、グローバル経営人材への登竜門として位置づけられるケースが増えており、帰任後に経営ポジションへステップアップするためには、駐在中から全社視点での思考と実績の積み上げが求められる。

変化の激しい外部環境のなかでも、その先にあるビジョンや将来性を踏まえて臨機応変に対応できる姿勢と、ローカル人材を鼓舞するリーダーシップは、駐在経験の有無を問わずグローバル人材に共通して求められる資質である。

海外駐在員の役割が「管理者」から「変革の推進者」へと進化するなかで、この経験を自らのキャリアにどう活かすか——その設計力こそが、これからのグローバル人材に問われている。