起業家・経営者の割合としてはまだまだ男性が多い世の中だが、女性起業家の人数は年々増加している。今回はその中でも活躍著しい3人の女性起業家の経歴についてご紹介したい。

DeNAの創業者 南場智子

まずは、ご存知の方も多いと思うが、DeNAの創業者南場智子氏をご紹介したい。南場氏は津田塾大学を卒業後、外資系コンサルティングファームのマッキンゼーに入社し、DeNAを創業している。

学生時代から頭が良かったことは容易に想像できるが、厳格な父親の教育方針があり、女子大の津田塾大学へ入学。成績優秀者の奨学金でアメリカのブリンマー大学へ留学をしている。

留学から帰国後、新卒でマッキンゼーに入社し、その後、ハーバードでMBAを取得し、マッキンゼーに再入社している。

「不格好経営」という南場氏の著書にマッキンゼーでの仕事から逃げたかったからハーバードに行った、と書かれているが、それでハーバードに合格し、MBA取得まで成し遂げてしまうのは優秀さだけでなく根性も凄まじいことが伺える。

数々のプロジェクトを成功させていき、マッキンゼー日本支社のパートナーに就任。日本人女性としては歴代3人目のパートナー就任となる。

その後、マッキンゼーを退社してDeNAを創業。当初はインターネットオークションやリサイクル情報サイトのビジネスを運営していたが、赤字が続き、あまり軌道には乗っていなかった。

しかし、モバイル市場の急拡大を先読みし、携帯電話向けオークションサイト「モバオク」などのモバイル事業へのシフトが大ヒット、一気にDeNAは有名となり、現在ではメガベンチャーの雄と呼ばれるまでになった。

持前の頭脳とマッキンゼーで培われたプロフェッショナリズムでDeNAを急成長させた南場氏。合理性とロジカルを重んじる文化はDeNAの中に今も受け継がれている。

一方で、それだけは未来は切り開けないと南場氏はとあるインタビューで答えている。組織として強くなっていくためロジカルな人だけが生き生きしていてもダメで、多種多様な人が強み活かして実力を発揮することで組織としての力が最大化されると述べている。

プロフェッショナリズムの塊と言われた南場氏だが、最近はそれだけではなく、組織として勝ち続けるために多様性を受け入れながらアップデートしていくことで、さらに進化を続けている。

Wantedlyの創業者 仲暁子

次に、ビジネスSNSを運営するWantedlyの創業者、仲暁子氏をご紹介したい。京都大学を卒業後、外資系投資銀行のゴールドマンサックスに入社し、Facebookの日本法人立ち上げに携わり、Wantedlyを創業。

両親が大学の研究者であり、幼少期をアメリカで過ごしている。その後、小中は日本で過ごすが、高校でニュージーランドに留学している。ずっと海外育ちというわけではないが、持前のチャレンジ精神と努力でネイティブ並の英語力を大学入学前に身に付けている。

京都大学経済学部に入学し、帰国子女コミュニティのサイト運営、ミスコン企画、フリーペーパー創刊など、学生時代からゼロから物事を作り上げる「0→1」に挑戦している。とあるインタビューでも「0→1」が好きと述べている。

大学卒業後、外資系投資銀行のゴールドマンサックスに入社し、日本株のセールスを担当。輝かしいキャリアを歩んでいたが、金融機関の仕事が自分が人生を賭けてやりたいことなのか、と考えるようになり、ゴールドマンサックスを退社。金融機関の仕事は自分が好きな「0→1」ではなかった。

まずはやりたいことをやってみようと、子どもの頃から憧れていた漫画家を目指し、約半年間漫画を描き続ける中で、世に出ていない漫画を紹介するサイトのアイデアが浮かび、「Magajin」というサイト運営を始める。

「Magajin」を広める中で日本では立ち上げフェーズだったFacebookのメンバーに参画し、SNSの大きな可能性を見出す。自分自身でSNSを作って、失敗して、、、ということを繰り返していく中で、人生の大部分を占める仕事だからこそ「ココロオドル」人を増やしたい!と思い、Wantedlyをスタートさせる。

仲氏がハイスペックであることは言うまでもないが、数多くの挑戦をし、失敗して、、、を繰り返す中で自分が人生を賭けてやりたいことを見つけられているからこそ、起業家として成功している。

Zaimの創業者 閑歳孝子

最後は、オンライン家計簿アプリZaimを開発、創業した閑歳孝子氏をご紹介したい。慶応義塾大学を卒業後、日経BPで記者を経験し、ITベンチャー企業のディレクターを務める。平行してプログラミングを独学で学び、家計簿アプリZaimをリリース、法人化して代表取締役に就任。

学生時代は慶応義塾大学環境情報学部の友人とキャンパス内限定で使えるTwitterのようなサービスを立ち上げたりしていた。しかし、当時閑歳氏にプログラミングのスキルがあったわけではなく、卒業後もエンジニアとは全く異なる記者としてキャリアをスタートさせている。

新卒で約3年間記者として働いた後、Web業界に転身。職種としてはディレクターのため、自分で開発を行うことはあまりなかったそうだが、簡単な修正は自分もできたほうが良いだろうと考え、少しずつプログラミングを学んでいく。

その後、ユーザーローカルという会社で初めてお金をもらってプログラムを書くようになる。最近では大学生からアプリ開発をしているという人もいるが、閑歳氏は少し遅咲きのエンジニアデビューだ。

業務と平行して趣味で開発を続けていく中で、生活の中でなくなっては困るサービスを作りたいという想いが芽生え、1人暮らしの頃から付けていた家計簿をヒントにZaimの開発を行い、会社設立まで成し遂げている。

閑歳氏はエンジニアとして遅咲きだったものの、少しずつキャリアを動かしながらエンジニアとしても起業家としても成功している。しかもZaimは趣味での開発をきっかけにしてサービスリリースしている。

起業家というと輝かしい経歴がないと難しいというようなイメージがあるかもしれないが、閑歳氏のように全く異なるキャリアから転身して、小さく事業を始めていく、というキャリアパスもあるということを知っていただきたい。

今回は女性起業家の経歴についてご紹介した。他にも数多くの女性起業家・経営者が日本で活躍している。様々なキャリアパス、面白い発見があるため興味がある方は調べてみてはいかがだろうか。