寄稿エージェント: 高木 土筆
ヤフーとLINEが2021年3月に正式に統合し、Zホールディングスとして誕生した。ヤフー川邊氏とLINE出澤氏は「Co-CEO 共同最高経営責任者」として新会社を牽引する。今回は最も注目されている2人の経歴をご紹介したい。
ヤフーとLINEが統合 Zホールディングス誕生
2人のCo-CEOの経歴に触れる前に、統合の概略についても少しご紹介したい。2021年3月にヤフーとLINEが経営統合し、Zホールディングスが誕生した。
根幹領域として「検索・ポータル」「広告」「メッセンジャー」は維持しつつ、「コマース」「ローカルパーティカル」「Fintech」「社会」といったキーワードは集中領域と位置付けている。
例えば、メッセージアプリとしてはLINEのほうが圧倒的に強みがあるため、そこは生かしつつ、競合しているPayPayとLINEPayについてはPayPayに段階的に移行させるなどのロードマップを描いている。
また、やはり検索エンジンはYahoo!の強みはあるため、こちらも既存事業の強みを生かしつつ、相互補完していく戦略だ。
ヤフーCEO 川邊氏 大学在学中に起業
では、ヤフーとCEOの川邊氏のご経歴からご紹介したい。青山学院大学法学部を卒業しており、大学在学中21歳の若さで有限会社電脳隊という会社を創業し、携帯インターネット市場で様々なサービスを展開。
大学卒業後も電脳隊を継続していたため、新卒では電脳隊以外の会社には就職していない。1999年には株式会社電脳隊に変更し、正式に代表取締役社長に就任。
当時のサービス開発では、auのEZweb開発や日本相撲協会の公式ウェブサイトの制作などを行っており、大手も注目するようなサービス開発の実績から電脳隊はヤフーに買収される。
創業した会社がヤフーに買収される形で川邊氏はそのままヤフーへ入社。1990年代からインターネットビジネスに着目し、大学在学中から起業していたため、さすがの行動力と言える。
ヤフー入社後は、Yahoo!mobileのビジネスプロジューサーとして事業推進を行い、2007年にはYahoo!ニュースのプロデューサーとしてサービスのグロースに大きく貢献する。
ヤフー社内で成果を上げ続けたことで2009年にヤフーが買収した株式会社GYAOの代表取締役社長に就任。買収時点では多額の赤字を抱えていたGYAOだが、 川邊氏就任後2年で黒字化を達成。
ここでの経営手腕が評価され、その後はヤフー本体のメディア事業統括本部長、COO、副社長などを務め、2018年に代表取締役CEOに就任。
電脳隊買収後はヤフー社内で着実にキャリアアップし、買収先企業でのV字回復が高く評価され、ヤフーの経営における重要ポジションを任されてきた。
LINECEO 田澤氏 堀江氏との出会いでIT業界へ
次に、LINECEOの田澤氏についてご紹介したい。1996年に早稲田大学政治経済学部を卒業後、朝日生命保険相互会社に入社。川邊氏とは対照的に新卒で大手金融機関に入社し、そのキャリアをスタートさせている。
その後、朝日生命の社外研修制度を利用して、1年間有限会社オン・ザ・エッジに社外留学。オン・ザ・エッジはライブドアの前身となる会社のため、ホリエモンこと堀江氏と出澤氏は社外留学で出会っている。
出澤氏にとってこの社外留学がターニングポイントになり、1年間の留学後、2001年に朝日生命を退社し、オン・ザ・エッジ(ライブドア)に転職。
安定していた大手金融機関から成長著しいインターネットビジネスの業界へ挑戦することになる。
入社後、すぐにモバイルでの新規事業を立ち上げ、着メロや待ち受け画像などのコンテンツビジネスでサービスを急成長させる。そして、事業のグロースとともに20代で執行役員にまで上り詰める。
しかし、その後ライブドア事件が起き、堀江氏が逮捕、失脚してしまう。社内は壊滅状態の中、出澤氏が堀江氏の後任として代表取締役社長に就任。
その後、経営を立て直す中で、韓国企業のNHN Japanにライブドアが買収される。NHN Japanは現LINEの前身であり、このタイミングで出澤氏はNHN Japanの取締役Web本部長に就任。
さらに2013年4月にLINE株式会社に商号を変更。2014年には出澤氏がLINEのCOOに就任、2015年にはCEOに就任し、現在に至る。
ライブドアに転職後は激動のキャリアを積み上げてきた出澤氏。堀江氏の逮捕など全く予期せぬ事態であったが、経営者として着実にキャリアを積み上げ、川邊氏とZホールディングスのCo-CEOとして新たな挑戦を行う。
以上のように、起業からキャリアをスタートさせた川邊氏と安定の大手金融機関からキャリアをスタートさせた出澤氏。2人のCEOが指揮を執るZホールディングスの今後に引き続き注目していきたい。
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